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random
Dec 17
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ある意味、一人一人が世界を変えていける時代が来てるんやね。京都の三条大橋に生首が並んだ江戸時代を思い出してみようや(笑)。例えばTwitterなんかは、使い様によっては、世界の市民一人一人がジャーナリストになれるシステムなんやから、検閲のバイアスがかかったテレビなんかよりも生々しい情報がリアル・タイムで入ってくる。人生を時代のせいには出来ないよ。要は想像力なんやね。
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歌詞はいつも、誰でも共有できる様に説明しない。作ってしまったら“放置プレイ”(笑)やし、後は各々の人生に引っ掛けてとらえてもらえばいい。

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そういう大いなる勘違いは大好き。大歓迎。さっきも言ったけど、歌ってそういうもんなんよね。聴く人が自分の人生に乗っければいい。

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「知る」がなかなか「分かる」に変わらないのは、どんな形であれ、その対象と向き合い、代償を差し出していないからじゃないだろうか。とかく、一方的に知るだけで分かったつもりになりがちだけど

で、その代償ってのには「知りたくないことまで知ってしまう」というのが含まれている。知ろうとすればするほど、そこにぶつかってしまうことが多くなるのは当然なのに

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死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。
 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
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本気なものって、きっと優しくない。そこは表にあまり現れないのじゃないだろうか。
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既成事実をたくさん、築いていくことは大切な事だと思うけど、
その事実はまぎれもない本当のことであっても、イコール、真実とは言えないよなぁと、この頃改めて思い直す事がいくつかあった。

結局は自分がその物事に対峙した時、何を見つけ出すか、見つめるかなんやんなぁ。その中に真実と感じるものが見えるか否か。

Dec 16
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Dec 15
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見汐麻衣(埋火) @motion新宿 2009-10-30 (via fykfyk)

溺れる魚 ~ だから私と

Dec 14
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本当は、人前で歌うことも、漫画を描くことも、映画を作ることも、
すべての表現行為は恥ずかしものだと思うんです。
一番クールな立場というのは、何も発信しないことなんですね。
何も発信しないで斜に構えて、
ポケットに手に突っ込んで佇んで文句を時々言うのがもっともラクなんですよ(笑)。
でもそれじゃ文化は始まらないから、恥ずかしいことだけどやるんです。

(浦沢直樹)