ぼくたちは、結局、音楽を所有してきたのだろうか?
「うた」が誰のものなのかといえば、もちろん表現者のものなのかもしれないが、では「うた」を聴く瞬間は、所有することができるものなのだろうか?むしろ、所有することなど絶対できないものだからこそ、「うた」を、同じ「うた」を何度でも聴いてしまうという行為は魅惑的なのではないのか?